途中から、大和は坂本のことを「艦長」と呼ぶのを止めた。上官であり師である彼と行為に及ぶという事実から目を背けたかったのか、僅かな反抗心かは坂本にはわからない。しかし「坂本さん」と呼ばれるのもなかなか悪くないと考えてしまうあたり、自分も相当救いようがないなと他人事のように思ったりした。
「坂本さ、ん……頼むから早く終わらせてくれ……なんだか、むず痒くて気持ち悪い……」
 大和がだるそうな声で呟く。全身に力を入れず手を広げて投げ出したまま、胸に唇を落とす坂本からずっと目を逸らし続けていた。
 気に入らない、と坂本は思う。無理に気持ち良くなれなどと身勝手で独り善がりな気持ちを押し付ける趣味はないが、ずっと諦めたような口調で、苦痛でしかないというような表情をしている大和が気に入らなかった。このままの彼女とことに及んだとして、果たしてそれは強姦となんの違いがあろうかと、腹の底からどろどろとしたものが込み上げる。
 つまらない意地でも救いようのない自己満足でも構わない、だがこれは、捨てるべきではない。坂本はそう判断した。
坂本は大和の胸の頂に吸い付いた。ひっ、と恐ろしげな声が上がる。
「くそ、あんたはねちっこい男じゃないだろうと思って了承したのに……くそっ、最悪だ……ぁ、んん……」
「新鮮だな、お前がそんな口悪くなるなんて」
「うるさ……もう、っあ、なんなんだ、あんた……」
「気持ち悪い言うから、気持ち良くなるまで続けてやろう思っただけだ」
 大和に髪を引っ張られても、力一杯腕を掴まれても、坂本は行為を中断しなかった。舌で押しつぶすように舐めれば僅かながらに喘ぎ声が上がることを知ってしまっては、止める理由はなかった。味をしめたと言わんばかりに甘噛みしてみたりもう片方を指で擦ってみれば、悔しそうに声を上げながら更に強い力で髪を引っ張られる。けれども痛みを全く感じないほど、坂本は目の前の彼女に快感を植え付けることに躍起になっていた。
 ほどなくして上半身を起こして再び見下ろせば、息を荒げて胸を上下させながら坂本を睨みつける彼女の姿がある。しかし何を言うでもなくベルトに手を伸ばしバックルを外して、同じ男物ならこういう時勝手がわかるから楽だと思いながらスラックスに手をかけた。脱がすぞ、と目配せしても大和は一切抵抗の色を見せなかったため、一緒に下着も脱がしてしまう。
 皮肉なことに、男ならばあるはずの陰茎がないのを確認してようやく、大和を完全に女として見ることができたような気がした。別に先ほどまでの大和に女らしさが皆無だったとは思わない。しかし二人はあまりにも、男として接してきた時間が長すぎた。今この瞬間だけ見方を切り替えろというのは無理がある。
 産まれたままの姿になった彼女は依然として坂本を睨みつけていた。中断しろとは言ってこない。坂本は諦めたようにため息をついた。
「強情だな。恥じらいさえなけりゃ男のままでおれると思ったんか?」
「普段は男として生活してるのに、こんな時だけ女に戻るなんて虫がよすぎると思うのです」
「受け入れればいい話だ。普段男として生きてるお前も、今俺に抱かれようとしてる女のお前も、両方含めてお前という一人の人間だと」
「簡単に言いますね。それが出来れば苦労しない」
「まあお前の中で整理がついていようがいまいが、俺は女のお前を抱くぞ」
 坂本は冷めた声でそう言うと、大和の膝裏を持ち上げて身体を折り曲げるようにした。彼女の身体が柔軟であると知っていたから遠慮がなかった。坂本から下腹部がよく見える体勢になったことで大和はまた顔をしかめたが、やはり抵抗はしない。
 ゆっくりと性器に手を這わせればうっすらとした湿りが指にまとわりついた。様子を伺うように上下に動かせば、小さな水音と同時に大和の嬌声が上がる。
「は、んん……、くそ、くそっ、ああ……!」
 手を動かしながら大和の表情を眺めていた坂本は、依然自分の中で性と戦い続ける彼女に対してどう接するべきか迷っていた。下手な同情は誰の得にもならないと知っている。諭したところで彼女がそれを大人しく聞き入れるわけがないし、第一自分にそんな権利があるとも思えない。男のままでいいと言うのも、こんなことをしてしまった今では薄っぺらいことこの上ない。
 対人関係においてこれほど悩むのは久しぶりだ、と坂本は思う。普段男として接している大和の女の面を見て庇護欲でも刺激されたのだろうか、だとしたらこんなに薄情なことはない。坂本は自分を鼻で笑いたい気持ちを抑えて大和に口付けた。
「ん、んぅ……っ、あ、坂本さ、ん……」
 あれこれ考えていても、熱っぽい声で名を呼ばれれば腹の底が熱くなってたまらなかった。舌を絡ませながら指を動かせば更に余裕のない声が上がって、どこからともなく湿った水音が聞こえる。目を開ければ悩ましげに瞳を濡らす大和の表情も見える。ふと脳裏に普段の凛々しい大和の姿が浮かんでは、あまりに乖離した眼前の光景に目眩がするようだった。
「指、入れるぞ」
 しばし口付けをやめて吐息混じりにそう吐き出し、あくまでも優しく秘部に人差し指を潜り込ませた。大和が俯いて苦しそうに唸る。くそ、と苛立ったような声は先ほどよりも甘ったるく聞こえた。
 もう一度、今度は触れ合うだけのキスをして、指を動かすことに意識を集中させながら坂本は大和の頬にもう片方の手を添えた。掌で首から顔を覆うようにして持ち上げ、親指で軽く頬を撫でれば大和の瞳がより一層濡れる様がよく見えた。
「お前だってもうわかっとるはずだろう」坂本の声音には若干の虚しさが含まれていた。
「今この瞬間のお前は、間違いなく女だ」
「くそっ、いやだ……」
 坂本の手を掴み、しがみつくように頬を押し当てながら大和が呟く。揺れる瞳から生理的か感情的か、おそらくその両方からくるものかはわからないが、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「いやだ、俺だって今の自分が女だってことくらいわかる……わかるから、ぁ、うう……認めたくない……」
 駄々をこねるように、しかしどこか力なく首を振る大和を見て、なぜそこまでして自分と戦おうとするのか、と坂本は奥歯を噛み締める。彼女の決意がどれほどのものかをよく知っているがゆえに、何か言葉をかけてやることさえ出来ない。間断なく嬌声を上げる大和を追いかけるように挿入する指を増やせば、それでも身を捩りながら大和が訴える。
「せっかく捨てたのに、また拾ったら……どっちつかずの弱い人間になりそうで、いやだ……!」
 それを聞いたとき、彼女の言葉は驚くほど違和感なく坂本の心にすとんと落ちた。大和はいつだって無意識に自分に枷をはめ続けてきたのだと納得する。
 すっかり濡れそぼった彼女の中心から指を引き抜いた坂本は、
「大和、お前いい加減女の自分を許してやってもいいんじゃないか」
 と諭すような口調で言った。大和は涙で覆われた瞳を見開き彼を見つめている。
 坂本は続けた。
「さっきも言っただろう、女のお前も男のお前も、両方合わせて大和という一人の人間だ。女の部分を捨てたから強くなったんじゃない。自分が望む生き方をするためには手段を選ばんかったから、お前は強いんだ」
「……軍人には必要ないものでも、許すべきですか」
「別に強制しとるわけじゃない。ただお前があまりにも雁字搦めになっとるようだったからな」
「そもそも誰のせいでこんなことになってると……」
「ああ、それは俺のせいだ」
 坂本は悪びれもなくそう言って、愛液まみれになっていた指を大和の口に押し込んだ。咄嗟のことで彼女は目を見張ったまま小さく咳き込んだが、一度坂本を睨み付けてからは大人しく指に舌を絡ませた。
「俺のせいで女の顔になっとるってのは相当、そそる」
 坂本がそう言えば大和はゆっくりとまばたきをしながら指のはらを舐め、舌を伸ばして指の股をくすぐるように動かす。赤い舌を見せつけるように自分の体液を舐め取りながら坂本の手を両手で握る。ゆっくりだが官能的なその動きは、あからさまに男性器への愛撫を思わせた。
 下肢に熱が溜まるのがわかる。眼前の彼女は「認めたくない」と意地を張っていた先ほどよりも柔和に見えた。彼女はもともと切り替えの早い人間であったから不思議ではないが、こうも容易く男と女を行き来されると心臓に悪い、と坂本は思った。
「上出来だな」坂本は薄く笑いながら指を引き抜いた。
「悪趣味野郎」大和は皮肉な笑いを浮かべながら答えた。
 彼女はこのわずかな時間の中で何かを吹っ切ったようだった。そして坂本がスラックスのポケットからスキンを取り出し、ベルトを外す様子をまじまじと見ながら、
「俺はやっぱり拾えない。拾えないけど、この中にまだ残ってる女の部分を、あなたに食らい尽くしてもらうのも悪くないと思いました」
 とぶっきらぼうに呟いた。随分男冥利に尽きる言葉だと坂本は思ったが、彼女は全く気付いていないようだ。
 大和は、自分のものさしというものを人一倍正確に持っている人間だった。いついかなる状況でもそれを使って物事を見定め、確固たる意志を貫き通す。たとえ師である坂本が何か助言を出したところで、彼女のものさしとずれがあればそれは却下される。今まで幾度となくそういうやり取りがなされてきた。そして今回もまた、大和は己の規則に従ったようだった。
 それについて坂本が気を悪くしたことはない。勝手な助言に見返りを求めるのは違う、と思っているからだった。何より、常に自分を貫き通そうとする大和の姿は見ていて気持ちの良いものだった。
「それでいいんだ、お前は」
 坂本は冷静を装ってそう返したものの、不思議なことに、普段通りの大和に戻ったと感じた瞬間に身体が熱を持った気がした。女としての彼女を抱きたいと思っていたはずだが、男としての大和を前にした今の方が加虐心が掻き立てられ、本当に食らい尽くしてやろうか、と考える。
 好きにしろと言うように両手を投げ出して待っている彼女の額は汗ばんでいた。湿った前髪を片手で掻き上げてやり、ほとんど無意識のうちに汗を舐めとる。えっ、と小さい声が聞こえたが、口内に広がる塩辛さを飲み下し、余裕なさげに舌打ちをする坂本には関係のないことだった。
「助言しといてなんだが、お前があっさり女の自分を認めとったら、俺はここで中断したかもしれんな」
「え?」
「いや、なんでもない。……悪いが、入れるぞ」
 欲望に振り回されるほど坂本も若くはないはずだった。けれども今は一刻も早く、自分の下で乱れる大和の姿が見たいと思う。
 考える暇を与える前にまた唇に噛み付こうとしたがふと物凄く今更なことに気付いて、触れ合う直前に動きを止めた。
「お前、俺と口付けするの嫌じゃないんか」
「何を今更」すぐ目の前の大和が呆れ顔になる。「意外とそういうの気にするんですね」
「気にするというか、好きでもない奴とするのは誰だって嫌だろ」
「じゃあ、あなた嫌でしたか?」
「俺は……嫌ではないが」
「そういうことです」
 大和は微笑を浮かべながら坂本の背に手を回し、彼の身体を引き寄せて口付けをした。一瞬驚きに目を見開いていた坂本もすぐに目を閉じて舌を差し入れる。彼女の言葉の意味と、自分の隠れた気持ちに同時に気が付いて、してやられた、と胸の内が熱くなる。仕返しだと言わんばかりに胸の頂に手を伸ばせば短い嬌声が上がった。口内で大和の舌がびくりと動くたび、坂本に熱い衝動を与えてやまない。
 坂本は一度大和から離れ上半身を起こすと、スラックスを下ろして自身を取り出した。既に勃起しているそれにスキンをかぶせる。大和の視線がひたすら下肢に刺さったがもはや気にならなかった。
 彼女の片足を持ち上げ、濡れそぼっている中心に自身を押し当てて聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の声で、
「入れるぞ」
 と呟けば、視界の端で大和が顔を背けた。
 こじ開けるようにゆっくりと腰を進ませるたびに、手で支えている彼女の片足に力が入っているのが掌から伝わってきた。先ほどまで涼しい顔をしていた彼女は何かに耐えるようにシーツを強く握りしめている。
「うっ……ぐぅ、はあっ、あ……」
「色気を出せとは言わんが、そこまで苦しそうにされるとさすがに心が痛むな」
「心にも、ないことを……うぅ、あっ、くそ……やめろ……!」
 見かねた坂本が大和の胸を揉みしだいたため、彼女はまた大きくかぶりを振った。嬌声と共に荒っぽい言葉が吐き出される。
 しかし先ほどと明確に異なるのは、その言動が性との葛藤からくるものではないということだった。自分では制御できない快楽に対する困惑と抵抗。ゆっくりとまばたきする瞬間に瞳が涙に覆われて、言葉を吐き出すと同時に、坂本と繋がった部分が微かに収縮するのが何よりの証拠であった。
 坂本はそれを逃すことなく感じ取ると衝動的に腰を動かし始めた。他の誰でもない己の行動によって、大和が女にならざるをえない状況を作ったという優越感は、予想以上に彼の心を満たした。それと同時に、性欲という単純な言葉で片付けることができない情動が湧き起こってたまらない。額には汗が滲み、背中を駆け上がるぞくぞくとした快感は思わず笑いが漏れ出すほど膨大なものだった。
 大和の中を慣らすようなゆったりとした動きから、彼女に快感を与えるためだけの激しい動きへとあからさまに切り替える。足を高く抱え上げながら突き上げるようにすれば、繋がった場所から絶え間なく水音が上がった。
 大和は落ち着かない様子で身を捩る。
「ああっ、う、はぁ、っく……ん、はぁ……」
「また、難しいこと、考えとるんか?」
「いや、単純な、んっ……、ことです……」
「なんだ?」
 荒い息を吐いた大和は額に汗を浮かべながら、潤んだ瞳で確かに坂本を見据えた。それによって額から頬にかけて汗が滑ったのを感じる。ごくりと喉を鳴らして坂本が腰を止めると同時に、大和が小さく笑った。
「やっと見れたと思って……艦長の余裕のない顔が」
「は?」そんなばかな、という心境だった。
「余裕のない顔って、どんなんだ」
「あなたならよく知ってるはずだ。戦う時の俺の表情。あれと同じです」
 大和は手を伸ばして坂本の背中に回すと、強い力で身体を引き寄せた。密着して、互いの鼓動が胸に響く。どちらのものともわからぬ汗が密着した肌に吸い込まれるような感覚に気を取られていると、大和は首を持ち上げて、坂本の耳元で囁いた。
「絶景……その言葉、そっくりそのまま返しますよ」
 かっと熱くなった身体が、胸から溶け合うように錯覚する。理屈を考えるよりも先に身体が動いて、大和に荒っぽい口付けをしながら一心不乱に腰を打ちつけた。
 坂本は、自分は比較的無欲な人間だと思っていた。人生を諦めたわけではないが、軍人である以上、仕方なく受け入れざるをえない運命というものは予想以上に多かった。
 諦めることはしなかった。自分の意志ではなく、他の誰かや何かに選択肢を限定されることが何よりも癪だったからだ。
 ならば望まないと、綺麗に諦めるより少しだけ要領の悪い道を選んだ。そこに疑問や未練はなかったし、むしろ、思い通りにならない事態を前にした時は今までよりもずっと冷静でいられる気さえした。
(余裕のない顔?  冗談じゃないな)
 もはや言い訳は出来なかった。今の坂本は、大和を支配し乱れさせたいという欲望にまみれていた。
「お前はほんまに……俺を煽るのが上手いな……!」
 自分を納得させるように、笑いながら呟く。唇を離した僅かな瞬間に大和は今までで一番大きな喘ぎ声を上げた。それを聞いて満足したと言わんばかりに坂本はまた口を塞いだ。
 己で制御することもままならぬ熱烈な行為。どこに触れても熱く、何をしても更にそれ以上を欲しがって貪欲になった。
「んっ、んん……! ちょ……っと、はぁ、ああっ、坂本さ……」
「艦長と呼べ、大和……困ったことに、その方が……」
 興奮する、という言葉は大和の喘ぎ声でかき消された。それと同時に結合部がより締め付けられたために、今打ち付けている場所がちょうど彼女の性感帯であることがわかって、坂本は執拗にそこを攻め立てた。予想通り彼女は艶っぽい吐息を漏らしながら激しく胸を上下させている。そして悩ましげに眉間に皺を寄せ、涙で瞳を濡らしながら、坂本を見つめていた。
「艦長……」大和は息を切らしながら呟いた。「あんたきっと、軍人の俺に惚れてんだ……」
 坂本はその言葉に頷くことも、否定することもできなかった。大和の胸の頂を指で弄びながらひたすら腰を打ち付け、だらしなく開いた口から絶え間なく喘ぎ声が発せられるのを、ただ見ていた。
 やがて大和の絶頂が近いことを悟る。胸を激しく上下させながら、縋るように坂本の背中を抱く彼女にかける言葉は、やはり見つからない。
「艦長、っはあ、うう、あああ……ん、艦長……艦長……っ」
 良し悪しはわからない。けれどその時はただ、繰り返し自分を呼ぶ大和を愛しいと思う気持ちに蓋をし続けることで精一杯だった。
 それでもこれから訪れる一瞬を見逃すまいと、彼女を見つめ続ける。身体中に力が入ったのを見て一言、
「大和、いけ」
 と呟いてやれば、大和は従順にそれを聞き入れたようだった。ぎゅっと目を閉じて嬌声を上げる彼女を見て、坂本の下肢にも更に熱が集まる。
「ああ、んっ、艦長……あああっ……!」
 達した大和の中が激しく収縮し、坂本のものを締め付けて絶頂を促す。もう休ませてやりたかったがこのまま中断するわけにもいかず、悪い、と小さく呟きながら突き上げる。あと少しと思いながら一心不乱に腰を打ち付けていると、先に絶頂を迎えて既に理性を手放したらしい大和が耳元で呟く。
「俺も、艦長に大和って、呼ばれるの……あ、ぅうっ、興奮しました……」
 思いもよらぬことを言われたために快楽が一気に膨張し、坂本はそのままスキンの中に熱を放った。射精した瞬間が大和にもわかったのか、彼女も同じように小さく震えた。
 逆上せた頭をなんとか普段通りに戻そうと、息を切らしながらも大和の中から陰茎を引き抜く。その時初めて、結合部から溢れた愛液がシーツに大きな染みを描いていたことを知った。
 サイドテーブルに置いてあるティッシュの箱を持ってくると、大和が涙に濡れた瞳をこちらに向けながら、
「自分で、やります……」
 と言ったので、坂本は思わず頭を抱えた。「これ以上俺を煽るようなことをするな」
 言い返してから、ティッシュを数枚引き抜きそこを拭おうとしたが、やめた。背後のドアを指差し、シャワー浴びてこい、と突き放すように言った。
 ここで大和が先ほどの従順さを残したまますぐにシャワーを浴びにいってくれれば良かったのだが、さすがに彼女は坂本の胸中を見通していた。
「らしくないですね、艦長。まだ余裕のない顔をしてる」
「悪いか?」
「いいえ、別に。でも愉快です」
 腕で額の汗を拭いながら大和は小さく笑った。坂本はスキンを外して自身の後始末をしながら苦い顔をする他ない。
「腹立つが、まあそうだろうな……」
「もう一回しても構いませんよ、俺は」
「俺が断固としてそうせんとわかっとって言うからな、お前は。頭のいい奴だ、まったく」
「でも気遣ってるんじゃない。わかってますよ。自惚れたりしてないので、安心して下さい」
 大和の表情はすっかりいつも通りで、そこには先ほどまでの色欲は見られない。汗ばんだ身体を起こしてベッドを降り、坂本に言われた通りさっさと浴室へ向かう。あまりの切り替えの早さに、彼女が男から女に変わる瞬間を今日幾度となく見てきた坂本も思わず少し驚いた。
 大和に限って、一度身体を重ねたからといってあからさまに態度が変わることはないと思っていたが、彼の中にある男と女のバランスが崩れはしないかと坂本は危惧していた。途中揺らぎはしたが、結果的に彼はいつも通りのままだ。
 自分もきっと、しばらくすれば元通りになると坂本は思っている。むしろそうならなければおかしいのだ。今もこの先も、二人は変わらずただの男の軍人として生きていく。
 けれど大和は男に戻ってなお、今日のすべてを無駄とは思わなかったようだった。
 浴室のドアノブに手をかけた彼が振り向き言い放った言葉。
「生死を懸けた戦いに身を投じる高揚感も、誰かを愛しいと思う気持ちも、胸を焦がすほどのものであるならば、俺は捨てたりしませんよ」
 それはこれ以上ないほど単純で、真っ直ぐだった。

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