「お前を女扱いしないとあれほど言っておきながら……」
「まあ、艦長も人間だったということです。三大欲求には敵わない」
「全然フォローになっとらんな」
 そう吐き捨てながら、坂本は乱暴にネクタイを緩めた。上着もカッターシャツも脱ぎ捨てて上半身裸になったところで怪訝な顔をして振り返れば、埃っぽいシングルベッドに座って待っている大和と目が合った。
 坂本に挑むような目をしている。僅かに口角を上げて、今から組み手でもしようかという表情だ。それが大和にとってなんらかの緊張や恐怖を和らげるためのものだということを、坂本はこれまでの兵隊生活でよく知っていた。知りながら、尋ねずにはいられなかった。
「怖いか?」
 大和は間髪入れずに首を振った。真っ直ぐ目を見て答える。
「この時、このタイミングに、艦長に言ってもらえてよかった。有意義な休暇になりそうです」
「そうか」
 艦内と違い、沈黙が流れれば本当に無音になってしまうことが妙に落ち着かなかった。それほど防音性の高い部屋でもなかったと記憶していたが何もかも曖昧で、久々に帰ってきた自宅というよりは、一時的に借りた宿という感覚に近い。部屋に家具らしい家具がほとんどないことも、そう錯覚する一つの理由になっていた。
 坂本が自宅に帰ってくるのは半年ぶりだった。短期間の休暇であれば、両親と姉夫婦が住む実家に帰った方が有意義だったからだ。幸い家族仲は良かったから居心地も申し分なかったし、姉の手料理も味わえる。待ち人もいない自宅に帰る理由はなかった。
 しかし今回は艦長である坂本にも比較的長期の休暇が与えられ、実家で過ごしてなお一人の時間を取る余裕があった。誰もいない部屋の中で一日、寝て起きてを繰り返しながら色々なことを考えた。そして結局、坂本より少し早くから休暇を取っていた大和を、極めて個人的な理由でここに呼び出したのである。
 戦争が始まる前にお前を抱きたい、と。電話越しにぶっきらぼうな口調で告げた坂本に、予想通り大和はなんの感情も込めずに、いいですよ、とそれに応じた。
 休暇中だから艦長と一兵士という立場を忘れて、というわけには当然いかない。二人はいつどこにいても軍人であった。そして大和に至っては、軍服こそ着ていないがやはり私生活でも男として過ごしていた。身に着けているワイシャツとスラックスは間違いなく男性用のそれだった。
 坂本はゆっくりと歩き出して大和の前で立ち止まると、彼――正確には彼女とするべきだが、今の大和には相応しくないためそう呼ぶことにする――の首筋に触れて言った。
「お前が今日、女の格好して来たらどうしようか思った」
 下から上へなぞるように指を動かすと、大和がまた挑戦的な目で坂本を見る。
「おかしな人ですね。まるで俺を男として抱きたいとでも言いたげな口振りじゃないですか」
「俺が、都合よく性欲を満たすためだけにお前を呼びつけたと思っとるのか?」
「まさか。そう思ってたら来てませんよ。俺じゃないと駄目だとわかったから来たんです」
「ようわかっとるじゃないか」
 無表情のまま、坂本は腰を屈めて大和に口付けた。触れ合う瞬間に彼はゆっくりと目を閉じたが、特に強張っているわけでも嫌悪をしてしているようでもないとわかって、坂本はとりあえず胸を撫で下ろした。
 数秒も経たぬうちに唇を離して再び大和を見下ろすと、彼はじっと坂本の目を見つめたまま大人しく座って次を待っていた。自分から動く気はないらしい。それもそうかと心の中で呟いて、坂本は大和の背と膝裏を抱いて軽々と彼を抱え上げた。予想外に軽かったものだから思わず動きが止まる。
 普段の訓練をこなすだけならともかく、海兵大学時代に他の追随を許さぬ成績を残し、各種競技番付では剣道、登山で西の大関になっていたことを坂本は知っていたのだった。確かにいつもは意識していないが小柄な方ではあった、と肩を掴む手に思わず力がこもる。
 そうして抱きかかえた大和を優しくベッドに横たえ、坂本はそれに覆い被さるようにして四つん這いになった。顔の横についた手をちらりと見た大和がそっと手首を掴む。
「男として抱きたいと思っている割には、随分優しく扱ってくれるんですね」
「さっきも言っただろ、性欲を満たすためだけに抱くわけじゃない。俺だけが楽しくても面白くない、お前も楽しまんとな」
「まあ対等という意味では同意しますが、恋人ごっこはごめんですよ」
「対等になるかどうかは、お前次第だ」
 坂本はそう言ってにやりと笑ってから、今度はやや乱暴に口付けた。舌を潜り込ませれば大和からくぐもった声が漏れる。角度をつけてより深く口付け、無理矢理舌を絡ませる。舌を動かすたびに彼は苦しそうに上を向こうとした。
 しばらくしてようやく口を離せば、いつもより僅かに眠たげな目をした大和が瞳に映る。心なしか頬も赤い気がする。
「ん……はぁ、艦長……」
 悩ましげな声でそう呼んだ彼――いや彼女は、荒い息を吐きながら目を逸らそうとしたが、坂本がそれを許さなかった。大和の後頭部に左手を差し入れて固定し、また口付ける。噛み付く、という表現のほうが正しいと思うほど荒々しい行為に二人は没頭した。坂本がまた舌を入れて大和の口内を蹂躙すれば、苦しいのか彼女が身体を捩る。
 普段めったに冷静さを欠かない大和が限界を訴える様が見たいと、坂本は口付けを続行した。そのまま、左手で大和の頭と自分の体重を支えながら右手で器用に彼女のシャツのボタンを外していく。一番下まで外し終わったところで、坂本はようやく口付けをやめた。
 なりふり構わずかぶりついたために、どちらのものかわからない唾液にまみれた口を右手で拭いながら、上体を起こして大和を見下ろす。
 眉間に皺を寄せながら悩ましげに息を切らす表情も、ボタンを外されたシャツから覗く肌と胸にきつく巻かれたさらしも、大和が女であるということを坂本に突き付けてやまない。あまりに刺激的なその光景に思わず彼は、
「絶景だな」
 と呟いた。その言葉にはいやらしさや皮肉さは微塵も含まれていなかったため、大和も無言でそれを受け止めたようで、顔や胸を隠そうとはしなかった。
 坂本は大和のシャツの裾を掴んだ。しばらくそのまま動きを止めていたが、彼女が目を合わせてきたことを肯定と受け取り、手を真上に上げさせて服を脱がせた。間髪入れずにさらしに手をかけると、大和が上体を起こす。
「寝たままでは外せないので」
 それだけ言うと彼女は自分で素早くさらしを解いた。何重にも巻かれたそれによって、徐々に姿を現す肌はやや赤くなっている。しかしいよいよ全てが坂本の目に晒されても、彼女は微塵も恥じらう様子を見せなかった。邪魔だと言わんばかりに解いたさらしを床に放る。
 坂本は無言で大和の上半身を見据え続けていた。見惚れているわけではない。実際大和の身体は女性らしい柔らかさや肌の綺麗さなどを備えてはいなかった。女性のなかでも筋肉質な部類に入るだろう、無駄な柔らかさが感じられない。その上さらしで隠れていた胸部でさえ痣や傷が残っており、いくら軍人とはいえ、本来の性別を知る坂本には痛々しいものとしか認識出来なかった。
 そのため彼は、
「初年兵いじめにでも遭ったか? それとも、女だとばれていたぶられでもしたか?」
 と、聞くつもりのなかったことまで口に出したが、さすがに最後の言い方は酷だったかとすぐに後悔した。
 そんな彼の心中など知らぬとでもいう風に、大和は無表情で答える。
「勘当される時に親から殴られて出来たものが大半です。その頃はまだろくに身体も鍛えとらんかったもので、まともに貰っちまってこうなりました。あとは敵兵と白兵戦になった時に受けた傷とか、ですね」
「気にしとらんのか」
 大和は坂本の身体を指差す。
「全く。ていうか艦長だってあるじゃないですか、こことか、こことか。別に珍しいものじゃない」
「それはそうだが……いや、本当に未練がないんかと思ってな」
「俺は、目に見えるものは信用しとらんのです。言葉も、決意も信念も、生き方も、きっと本当に大事なものは全部目に見えない。目に見える傷や痣は、努力の証明にすらなりはしないんです」
 大和がそう言い終える前に、坂本は再び彼女を押し倒していた。
「予想通り、女の部分を捨てきっとるようで安心した」
 吐き捨てると、大和の胸に手を当てながら首筋に唇を落とす。お世辞にも大きいとは言い難いが、男を騙るには確かに無駄な膨らみだ、と思った。揉みしだけるほどの大きさはないため掌を押し付けるように動かせば、居心地が悪そうに大和が片膝を立てる。坂本はそれに気付かないふりをして首筋から鎖骨にかけて順番に唇を落とし、そのたびに湿っぽい音を部屋に響かせた。
「……艦長、あなた」しびれを切らしたのか大和が苛立った様子で言う。「一体何が目的なんです? そんなことを聞くために、こんな……ことをするためにわざわざ俺を呼び出したんですか。さっさと終わらせればいいものを」
「普段の勇敢で男らしいお前を知った上で抱けたら、女の顔になるお前を見れたら、これに勝る優越感はないと思った。それだけだ。悪趣味野郎とか小さい男と、笑いたけりゃ笑えばええ」坂本は大和の首筋に顔を埋めたまま答えた。
 それを聞いた彼女は精一杯の皮肉を込めて鼻で笑った。額の上に手の甲を当てて目元を歪ませる。
「あんたの優越感のために俺は利用されるのか。冗談じゃないな」
大和が坂本をあんた呼ばわりするのは極めて珍しい。相当苛立っているようだった。
 しかし言葉の端々から自分自身に対する諦めのようなものが滲み出ていて、妙だ、と坂本は思う。彼女はもともと自分の可能性を信じて海軍軍人になる道を選んだ。こんな状況とはいえ全力で抵抗されても仕方がないと思っていたのに、拍子抜けだった。
「傷付けずにするつもりではいたが、滅茶苦茶に甘やかす方が良かったか?」
「やめてください、それこそ反吐が出る。いいから早く終わらせてください」
「それはお前が決めることじゃない。今この場においては俺に主導権があることを忘れるな」
 それだけ言うと坂本は行為を再開した。妙に棘のある言い方になってしまって、柄にもなく意地になっているのか、と思った。
 掌に少し力を込めて乳房を包み、また大和の唇に噛み付く。舌を潜り込ませながら掌を動かせば先ほどよりも簡単に苦しげな声が上がった。しかし今度は早めに解放してやって、言う。
「だが、酷い扱いはせん。言っただろ、お前も楽しめって」
 今まで幾度となく見つめ続けてきた大和の紅い瞳は、自尊と色欲の狭間で揺れているように見えた。

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