秋田はひねくれ者だ。それが、大和の彼に対する認識だった。
 柴又とは普通に会話をしているのに、その相手が大和となると途端に邪険になって会話どころではない。それは寮で同室になった日以来ずっと変わらないことだ。その事実に疑問を抱いたり、改善策を見いだすために努力する期間は遠い昔に終わっていた。
 もともと大和も友達付き合いが得意な方ではないし、いくら海軍兵学校の中に「同期を何よりも大切にする」という空気が流れていようとも、知ったことではない、と大和は思っていた。だからいくら同室の秋田に邪険にされようとも、心を痛めることはなかった。
 けれども心の奥底では、秋田と普通に会話がしたいと願っていたのかもしれない。軍人となり毎日のように秋田と顔を合わせることもなくなった今、時折大和はそう思うのだった。

 海軍兵学校に入学して丁度一週間が経った頃。週末を迎え、初めて外出許可が取れるようになった。その時既に大和は親から勘当されていたため帰省することは出来なかったが、これから住む街をぐるりと見て回ろうと思い、外出届を提出した。それは当たり前に受理され、大和は私服に着替えて誰もいない部屋をあとにした。
 同じように外出許可を貰って出かけようとしている何人もの同期と擦れ違いながら階段を降りて靴を履き替える。正門を出ようとした時、急に誰かに呼び止められた。
「大和」
 振り返ると、まだ制服を着たままの秋田が立っていた。いつも通り鋭い目をして大和を睨みつけている。
 吐き捨てるような声で彼は言った。
「どこ行くんだよ」
 大和は、関係ないだろ、と言おうとしたが、ここで言い争いになるのは避けたかったため正直に答えた。
「街を見に行く。それだけだ」
「ふうん」
 秋田は小さく首を捻りながら唇を尖らせた。すん、と鼻を鳴らしたあと、
「……俺も行く。先行ってろ」
 とまた吐き捨てて、踵を返し寮へと走っていった。どういう風の吹き回しだよ、と怒鳴る大和の声は彼には届かなかったようで、秋田は一度もこちらを振り返らずに寮の中へと姿を消した。
 その場に一人残された大和はもう何かを考えるのも馬鹿らしくなって、足早に正門を抜けた。待ってやる気などさらさらなかったし、見失って追いかけることが出来なくなる方が好都合だと思ったからだ。といっても、寮から街に出るまでは何もない一本道が続いていて、姿を眩ませることは期待出来なかった。
 案の定しばらくすると後ろから秋田が走ってきて、額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、何事もなかったかのように隣に並んで歩き出した。
「あー、つっかれた。お前歩くの速ぇよ」
「わざと速く歩いてたんだよ」
「まあそうだろうな」
 わかってるなら並ぶな、と言いたげな目をして大和は秋田を見た。性別のせいで仕方がないとはいえ、自分より身長が高いことがなぜか酷く腹立たしかった。そんな大和の視線や胸中に秋田が気付くはずもなかったが、万が一悟られでもしたらと考えて、大和は落ち着いた声で尋ねる。
「お前、なんで来たんだ。俺のこと嫌いなんじゃねえのか」
「嫌いだよ」
 わかりきっていたことだが、即答はいっそ清々しかった。大和はようやく歩く速度を落としてやる。秋田はその変化にも何も言わず対応して、僅かに肩をすくませた。
「嫌いっていうか、苛つくんだよ。普段はなんにも喋らねぇくせに、戦争のこととなるとお前はやけに俺に突っかかってくる」
「それはお前も同じだろ。それに俺は戦争の話なんかしてねえ」
「それこそ同じだ。軍人にとっちゃ戦争が人生なんだからよ」
「まだ軍に入ってもねえくせに、何言ってやがる」
 言い合いながら、二人は一度も目を合わさず歩いていく。言葉の端々には棘があり、表に出さず胸に秘めた激情が声色に僅かに滲んでいる。怒鳴ったり、手を出したりすることはない。そういうところまでまったくいつも通りであった。
 認めたくはないがどこかしら似ているところがあるのだと、大和にはわかっていた。秋田だけが悪いのではない。邪険な扱いに、それと同等の刺々しい言葉を返してきた。ちゃんとわかっている。
 それでも、言い合うことでしか会話をする術を知らないのだ。張り合うための言葉はいとも簡単に口から出てくるのに、互いの気持ちを受け入れようという思いやりは少しも湧いてこない。それをもどかしく思う心さえ忘れてしまった気がする。
「天地がひっくり返っても、俺とお前の仲は良くならねえだろうよ」
 大和はそう言って、歩く速度を少しだけ上げた。秋田も負けじとあとに続いたが、街に着くまで言葉を交わすことはなかった。

 人混みに紛れて秋田とはぐれることが出来たならどんなに良かっただろう。だが店の中に入ってしまった今ではもう遅い。
 あるいは人目を気にせず秋田を殴り倒すことが出来たならどんなに良かっただろう。だが逆に今後自分の秘密を暴く原因になりかねない。
 くそ野郎、と大和は眉間に皺を寄せたまま舌打ちをした。やはり正門で秋田に出会ったのが運の尽きだったのだ。どこまでも腹が立って仕方がない。薄く長く息を吐き出すことでなんとか気持ちを鎮めようとしたものの、秋田が、
「おー、なんだよ、お前結構こういうの似合うんじゃん」
 と言いながら勝手に大和の身体にトレンチコートを合わせてきたものだから怒りが増幅する。気がつくと「やめろ!」と声を荒げていた。しかし秋田は懲りずに、店内の洋服を大和に差し出してくる。
「だってよー大和、お前の私服ってなんか全部サイズでかく見えるから、俺がちゃんとしたの選んでやろうかと思って」
「大きなお世話だ馬鹿野郎」
「馬鹿でいいから、これ着てみろよ」
 大和はぐっと喉を鳴らしてから、彼を無視したい気持ちを捨ててトレンチコートを受け取った。ざわめく心の中に諦めの気持ちが広がっていく。
 ああ、秋田は本当に「戦争の話をする自分」のことだけが嫌いなのだと、大和は知ってしまった。一人の人間を部分的に切り離して見ることが出来るところは、彼の長所だと素直に認めざるをえなかった。
 そうなると自分だけがこの場から逃げるのも意地を張るのも格好悪いように思えて、大和は背負っていたボディバッグを足元に置いて、言われるがままに秋田から受け取ったコートに袖を通した。
 棚の横に置いてあった姿見を睨みつける。そこには普段絶対に選ばないような服を着た自分と、一人ならば絶対に入ることがないであろう洋服屋の洒落た店内、上機嫌に鼻歌を歌いながら服を眺める秋田が映っていた。正直大和は服は着られればなんでもいいと思っているたちだったから、良し悪しというものがよくわからない。先ほど似合うと言われたが、実際に鏡を見ても、多少普段よりちゃんとした身なりになったな、程度の認識である。サイズは単に、女の大和にはどの服も大きかったというだけのものだ。今身につけているパーカーやジーンズは確かに大きいが、別に身体のラインを隠したかったわけではない。今更顔や体格で本来の性別がばれることはないだろうと思っている。
 大和がひたすら鏡を睨んでいると、後ろからひょこりと秋田が顔を覗かせた。
「うーん、やっぱちぃとでけぇな。おい大和、お前身長何センチだよ」
「……お前より低い」
「あーあー、まあ160ないのはわかるわ」
 同情するように叩かれた肩が思わず小さく震えそうになるのをこらえて、ゆっくりとコートを脱ぐ。いくら服に疎い大和でも、この店にあるものがそこそこ高価であるということくらいはわかっていた。
 脱いだコートを元通りハンガーにかけ、棚に戻す。慣れないものを身に着けるのは、なんだか全身に鎧を纏っているような窮屈さがあった。
 大和がぐるりと肩を回すと、息つく間もなく秋田の手が伸びてくる。そして「これとか小さめで良さそうだぞ」とまた別のコートを差し出す。確かに先ほどのものより一回り小さいように見えたが、大和それを受け取らず一歩後ずさった。
「お前、なんなんだよ。俺は別に服とかどうでもいいんだ。ほっといてくれ」
「俺、服見るの好きなんだよ」
「だからなんだってんだ。俺には関係ねぇだろ。……くそ、調子狂うな」
 だんだんと自分の声が小さくなっていくのが大和にはわかっていた。口をへの字に曲げながらがしがしと頭を掻く。
 今まで敵と認識していた者が急に懐に入ってくるような感覚。全力で拒絶することも踏みにじることも出来ない。腹立たしく思うよりもよほど疲れるのは、秋田が悪人でないと知ってしまったからだ。
 大和は、差し出された服を弱々しい力で押しのけた。いつもと様子が違うことにさすがの秋田も気付いたらしく、大人しくそれを引っ込める。
「なんだ、買ってかねぇのか」
 肩をすくめる秋田に言い返す気は全く起こらなかった。「帰る。お前、今度は付いてくんなよ」と一応念を押して、秋田を一人店内に残し大和はその場を離れた。
 飛び出すように外に出ると街の喧騒が身を包み、少し気持ちが落ち着く。空はすっかり暗くなっているが、そこかしこにある店の灯りが夜を感じさせない。ただ少しだけ肌寒かった。秋田に勧められたトレンチコートを買って、着て帰ればちょうど良かったのだろうと頭の隅で考える。それと同時に、人混みに紛れながら歩くことで脳裏にかかった霧が晴れていく気がした。
 寮に帰ればまた、当たり前のように秋田と言い争う自分の姿が容易に想像出来る。自分は適応能力がなかなかに高い人間だという自負がある。そうでなければ、本当の生き方なんて出来やしない。
 大和は少し、秋田に対する評価を改めることにした。ひねくれ者だという認識は変わらない。ただ、彼もやはり志願兵であると思った。そう思うことで、背中を預けることが出来る場所が一つ増えたような気がした。
 その時彼を遠慮なく罵りながら倒すには、秋田も大和も条件を満たしきっていなかったのだ。

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