「何が仲間か! 俺ら結局、戦争で死にに行くんだよ! 軍は俺らのことただの道具としか思ってねえ!」
「誰に何思われてようと好きにしとけばいい話だろ。お前が本当に自分が望む生き方をしてるならそんなのは関係ない」
「あー腹立つ! お前は口を開けば生き方がどうの志がどうのって! 死んじまったら結局何もかも同じじゃねえか!」
「そうかもな」
 居間から、秋田の怒鳴り声と大和の冷めた声が絶え間なく聞こえてくる。酒を飲めば二人はいつもこうだった。決して不仲ではないはずなのだが、言い争いが絶えない。毎度毎度よくここまで熱くなれるものだと思いつつ、柴又は黙って耳を傾ける。ただの酔っ払いの意味のない言い合いで片付けるには、その内容はあまりにも耳が痛いものだった。
 柴又は一人苦笑しながら冷蔵庫を開けて瓶ビールを取り出し、台所を後にする。居間に入って時計に視線を向けると、それはもう午後十一時を指していた。いくら家族が留守にしているから実家で飲もうと誘ったとはいえ、まさかこんな時間まで酒が出続けるとは思わなかった。柴又は自分の考えの甘さを痛感したが、たまのことだと思えば御開きにするのもなんだか惜しい気がした。
 柴又が戻ってきたのがわかるや否や、秋田と大和は口論を一旦止め、各々自分のグラスに残ったビールを一気に飲み干した。妙に息が合う二人をちらりと見てから、柴又は瓶ビールをちゃぶ台に置いて腰を下ろす。
「そない急がんでも同じだけ注いだるって」
 床に落ちていた栓抜きを拾って瓶ビールを開ける。手から滑り落ちた王冠が転がる音は、二人がコップをちゃぶ台に叩き付ける音にかき消された。驚いた柴又が彼らを代わる代わる見ると、秋田がいつも以上に鋭い眼光をこちらに向けて言う。
「柴ァ、さっき言ってたの、俺と大和どっちが正しいと思う?」
「はぁ?」
 思わず柴又は身を引くように仰け反った。黙っている大和も闘志を込めた瞳で彼を見ている。何も言えずにいると、急かすように秋田が身を乗り出してコップを突き出す。大和も同じようにして柴又を追い詰めた。
 こうなると、どちらから先に注いでも面倒なことになるのは自明だった。いっそ記憶も残らないほどに酔っ払っていてくれればまだ手の打ちようもあるが、秋田と大和は酒豪にもかかわらず酩酊知らずであった。今日だってもう四時間は飲んでいるのに素面と変わらない。柴又の実家は居酒屋だから酒が尽きることはないが、金と仕入れの問題に今から胃が痛くなりそうだった。
 溜め息をついて背を丸めながら、まず秋田にビールを注いでやる。
「どっちが正しいとか、そんなんと違うじゃろ。俺に聞くなや。……ただ秋田、お前学校でそない過激なこと言うたらいかんぞ」
「わかってるよ」秋田はばつが悪そうに唇を尖らせた。ビールの泡がグラスの縁に到達するとすぐさまそれを啜る。
 手を休めることなく柴又が大和にも注いでやると、彼は流れ落ちる液体を見つめながら顎をしゃくった。
「金は俺と秋田が払うから大丈夫だよ。悪いけど軍に入るまで待ってもらわなきゃいけないが」
「え、俺そない顔に出とった?」
 柴又が腕を揺らしたことで、グラスの中の液体が跳ね上がる。ああごめん、と言いながらすぐにグラスに視線を戻すと、大和は口元に掌を当てて笑った。
「お前こそ気を付けろよ。考えてること全部丸わかりだ」
「ああ……用心はする。でも丸わかりと思うんは、多分大和が色んなことよう気付くからじゃろなあ」
「それもある」
 謙遜はしない。自分を客観的に見ることができる大和だからこそ、そこに嫌味はない。
 彼はグラス一杯に入ったビールを少し見つめてからそれに口を付けた。こんな場でもぴんと背筋を伸ばしているのがおかしかったが、目を閉じて、ごく、ごく、と飲み下す様子はなぜだか、見ているだけの柴又も息をのむほどの清らかさに満ちていた。そう思うのは大和の内面からか容姿からかはよくわからない。
 酔いが回ったかと柴又が顎を撫でながら瞼を閉じる。この二人と飲んでいると自分まで酒豪になった気がして、ついつい飲み過ぎてしまう。
 もう今日はやめておこうかと考えていた時、大和が思いついたように言った。
「柴はなんで海軍に入りたいんだ」
「え、えー……?」
 言い淀み首を捻る柴又を見兼ねたのか、しばらく大人しかった秋田がすかさず答える。
「俺は女にモテたいからだ!」
「うるせえ、お前のことは聞いてねえ」
 一蹴した大和を睨み付けてから、秋田はグラスに残ったビールを一気に煽った。乾いた笑みを貼り付けたまま肩をすくめて発する声はいつもより一層大きい。
「相変わらず酷ぇな、おい! そりゃあ、ご立派に死に場所見つけようとしてる大和から見りゃ、俺なんかその辺に転がってる石ころと同じだろうけどよ!」
 酩酊知らずとはいえいよいよ酔いが回ってきたかと大和と柴又が彼の顔をまじまじと見つめたが、その目には確かに光が宿っている。指でとんとんとちゃぶ台を叩くたびそれは揺れて見え、ならば良いとでも言うように大和は顔を背けた。それを見た秋田も鼻を鳴らしてそっぽを向く。二人といれば高確率で生まれるこの殺伐とした空気に、柴又だけが馴染めずにいるようだった。
 なぜもっと穏やかに接することができないのだろうと思うし、仲裁しようとも思う。しかしそう思うたびに浮き彫りになる己の弱さを知りすぎて、仲裁の言葉は柴又の喉に引っかかり続け、飲み込むことも吐き出すこともできないまま今に至る。
 せめてこの沈黙を破ろうと、柴又は背を丸めて言った。
「俺は……昔から仲良うしてくれとった人が海軍に入ったのを見て、なんとなく、俺もそうしよう思っただけなんじゃ。特別な理由があるわけでもない。憧れですらなかった気がする。だからあんまり、言いとおなかったんじゃ」
 言葉を重ねるたびに声が小さくなっているのが自分でも理解できて、胃がきりきりと痛んだ。途中なぜか大和が目一杯注いでくれたビールに口を付けて唇を湿らせる。
「別にそれがあかんとか、惨めとか言うわけじゃない。ただ、死ぬ時に何を拠り所にすりゃええんじゃろうって、たまに思う」
 無意識に爪先までを丸めていたことに気付き、柴又は全身から力を抜いた。それと共に胃の痛みが緩和されるのを確かに感じる。自然と下がっていた視線を二人に戻すと、彼らは同じような表情で柴又を見ていた。そこから読み取れる感情は一言で言えば、呆れだろうか。
「柴って見かけによらず案外卑屈だよな。たまに自分のこと話しだしたと思ったらこれだ」
 大和の言葉に秋田が補足する。
「卑屈ってか自己評価が低いんだよ。他人ばっか見てるからな、こいつは」
 確かにその通りかもしれない、と柴又は再び拳を握った。現に目の前の二人の性格はよく理解しているくせに、自分がどういう人間なのかは把握しきれていないのだった。
 だから二人の言葉にも、
「そうかなあ」
 と返すことしかできなかった。そこには腹立たしさや悲しみなどは一切含まれていない。ただ二人の言葉を事実として受け止めているだけだった。
 柴又は握っていた拳を開いて自分のグラスを持ち上げる。その中に三分の一ほど残るビールを気が進まないながらも飲み干して、ちゃぶ台に突っ伏した。思いの外強くぶつけてしまった額がじわりと痛んだが気にも留めない。眠いのか、という大和の問いかけに黙って首を振り、二人には気付かれないようにため息をつく。
 吐いた息はいつもより酒くさい。飲み過ぎたかもしれない。
(あかん……自分がどれくらい飲んだら酔うんかすら、わかっとらん)
 握ったままの空のコップに静かにビールが注がれたのは、掌に伝わる冷たさでわかった。

BGM:27/SUPER BEAVER

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