布団を握り締め、横を向き丸まって眠るのが九郎兵衛の癖だった。仰向けになったりうつ伏せになったりしているのは珍しい。今日は何があったのか、枕に顔を伏せて気を失ったように眠っている。
 一方の史郎は布団で寝る事自体が久しぶりである。寝よう、と思ってから布団に入って眠る事が嫌いらしい。九郎兵衛と宿に泊まる時くらいしか、布団に入ろうとはしなかった。
 二人が眠りに落ちてから一刻程経つ。しかしいつも横を向いて寝ているのに今日はうつ伏せになっている、あるいは、いつも布団で寝ないのに今日は布団で寝ている。こだわりというか、癖というか、いつもの状態ではないからか、二人の眠りは心なしか浅かった。
 とうとう、史郎が目覚めて身体を起こした。
「どうしたもんかな」
 小さな声で不機嫌そうに呟いて、隣で眠っている九郎兵衛をちらりと見た後、掛け布団を蹴飛ばした。枕も部屋の隅に置いて、薄い敷き布団の上に寝転がる。
 冬ではないから凍える程寒くはないが、夏のように暑い訳ではない。何もなしで寝ればさすがに風邪をひくだろうか。史郎はぼんやりと考えて、何もないのに鼻を啜った。
 突然、ふごっ、と苦しそうに九郎兵衛が喉を鳴らした。あまりにも部屋に響いたので史郎は一人目を丸くして驚いたが、九郎兵衛がうつ伏せになっているせいで鼻から息が出来なくなっているからと知って、思わずくすくすと笑ってしまった。史郎は静かにゆっくりと、九郎兵衛の肩を持ち仰向けに寝かせた。息苦しさがなくなったのか、少し笑ったように見える。それを見た史郎にいささかの悪戯心が働いて、軽い気持ちで九郎兵衛の鼻をつまんだ。眉をひそめて口をぽかんと開けたのがおかしくて、またくすくすと笑う。
 その時、いつもよりずっと低い九郎兵衛の声がした。
「なあにやってんだ、てめえは」
 九郎兵衛はじろりと史郎を睨んだ後、鼻をつまんでいる手を払いのけて身体を起こした。
「何だ、起きちまったのか」
「鼻つままれりゃさすがに起きるだろうよ」
 若干の嫌味を込めて言ったのだろうが、史郎は気付かないふりをした。へえ、と言って真っ直ぐに九郎兵衛を見る。物分かりのいい史郎は、九郎兵衛は嫌味を込めてはいるものの本気で怒っている訳ではないというところまで、本当は察している。
 ろくに言葉を返さない史郎にむっとしたのか、ばかばかしい、と呟いて九郎兵衛は再び横になった。今度はいつも通り、横を向き丸まっている。
 何を思ったか、史郎はその上に跨り布団を引っぺがした。
「……何のつもりだ」
 さすがに今度は、九郎兵衛も本気で頭にきている。眠いからか余計に気が短くなっていた。先程とは比べ物にならないくらいの形相だったが、史郎はいたって冷静で、その場から動こうとはしなかった。
 起き上がって力ずくで追い払おうとした九郎兵衛を、逆に史郎が押し倒す。どん、と響く音と同時に部屋が揺れたように感じられるほど、勢い良く体重をかけていた。
「何のつもりだっ」
「おめえ、頭にきてんなら怒鳴るくらいして見せろよ。それとも相手がおれだから出来ねえのか」
「うるせえ、早くどきやがれっ」
 九郎兵衛は十分大きな声を出していたが、そこに殆ど怒りが含まれていない事を史郎は感じ取っていた。別にそれが気に障るという事ではなく、ただ何となく、九郎兵衛は自分に対して甘いと前から思っていたからだ。誰に対してもそうなのかもしれないし、親しい者にだけそうなのかもしれない。
 九郎兵衛の事を、史郎はそこまで理解していない。
「くろは結構おれの事好いてると思ってたんだがなあ」
「はあ? 自惚れてんじゃねえ、ていうか苦しい早くどけ」
 ずっと腹の上に座られていた為、九郎兵衛はそう言って苦しそうに呻いた。棒読みで、悪い悪い、と言って史郎は腰を上げたもののその場から離れようとはせず、九郎兵衛の顔の横に両手をついて四つん這いになった。彼は一瞬顔をしかめたが、気にせず目を閉じて眠ろうとする。
 史郎はまたつまらなくなって、九郎兵衛の頬をつついたり引っ張ったりした。それについては何も言葉が返ってくる事はなく、部屋はしんと静まり返った。それでもその場を動く事はせず、まるで夜這いに来たようだと史郎は一人で妙な気分になった。
 その時、目を閉じたままの九郎兵衛が口を開いた。
「……おれだって自惚れてるさ」
 何の事かと一瞬考え込んだが、史郎はすぐに理解して、見えもしないだろうに小さく頷いた。そして少し遠回しに言っているのがずるいなあと思う。頭が空っぽで考えなしに見えるのに思わぬ所で深く物事を考えているから、物分かりのいい史郎でさえ九郎兵衛をまだ理解しきれていない。
 全てを知りたいとは思わない。けれど、一緒にいる時くらい、言いたい事ははっきり言ってほしいと思う。
 九郎兵衛の耳に口を寄せて、女を落とす時に出す、自他共に認める「良い声」で史郎は囁く。
「どういう風に自惚れてるか、一晩かけてじっくり聞かせてもらおうじゃねえか」
 くすぐったさから声にならない声をもらした九郎兵衛の頬が一気に熱くなったのを感じて、史郎はたまらず声を上げて笑った。

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