「しろー、おふとん干すから早く起きろー」
 頬にじわりと冷たさが広がる。しょぼしょぼした目をなんとか開いて、今自分に起きていることを確認しようとする。
 目の前にあったのは、手を伸ばしても届かない天井ではなく、近すぎてもはや何がなんだかわからないルームメイトの顔。
「近ぇし、痛ぇし、冷てぇよ……」
 ほっぺたを抓って起こされたことに対する怒りよりも、眠気が勝っていた。未だ頬に感じる不快感に文字通り目を瞑って、二度寝をしようと身体から力を抜いていく。
 しかし、当然ながらそれは阻止された。今度こそ鋭い痛み。
「いっ……てぇ!」
 思わず飛び起きた俺を見て、からからと声を上げて笑うくろ。
「ばーか、いつまで経ってもアホ面で寝てるからだよ」
「だからって本気で抓ることねえだろ」
「もう何回起こしたと思ってんだよ」
「一回?」
 なんの記憶もないため適当に答えると、くろは俺を蹴るふりをして布団から追い出しながら、低い声で言う。
「五回だ、五回! 寝正月通り越して冬眠すんのかと思ったぞ」
「正月、つってももう五日だけどな」
「お前はそれ言う資格ねえから」
 我ながら酷いと思うし、すでに四回起こされてて目覚めなかったことも、なんにも覚えていなかったことも少しショックだった。俺、一人暮らししてたら本当に冬眠してたのかも。
「ほら、さっさと起きる!」
「うーん……ごめん」
 のそりと立ち上がって素直に謝ると、くろはきびきびした動きで俺の毛布を持ってベランダに出て行った。その背中を見て、俺もそそくさと掛け布団と敷き布団のカバーを外す。
 部屋に射し込む太陽の光を浴びながら、涙が浮かぶほど大きなあくびをひとつ。遠慮なしに口を大きく開けて、ふああ、と間抜けた声も出すと、一息遅れてベランダからも同じ声がした。くろ、つられてやんの。
 カバーを外した布団を持っていくと、冷たい風が頬を撫でた。思わず身震いしてしまう。日差しはぽかぽか暖かいのに、やっぱり冬だ。
「なあ、これも干して」
 怒ってる? と顔を覗き込みながら聞くと、くろは口をへの字に曲げたまま鼻を鳴らした。あ、怒ってるふりをしてる。その証拠に、
「場所、もうねえよ」
 声はいつも通りだ。
「くろのはいつから干してんの」
「あー……もう取り込むか」
「手伝うよ」
「当たり前だろ、寝坊助」
「明日はちゃんと起きるって」
「信用ならねえな」
 途切れずに続く会話。打てば響く、ってのはこういうことなんだろう。こんなことが出来るのは、俺にはやっぱりくろしかいない。
「なんか、いいな」
 と笑いながら呟くと、くろは心底よくわからないといった顔をしながら、俺に布団と毛布をパスした。
 それらを部屋に放り投げて、ぬくもりを溜め込んだ布団に倒れ込むこの瞬間。そこには確かににおいがある。いつだったかくろが「お日さまのにおい」って言ってたっけ。自然の暖かさが肌を包み込んでくれるような、絶対的な安心感。あー……、と腹の底から情けない声が出てしまう。
 布団と一体化していると、くろが背中から俺の服を引っ張って喚いた。
「あっ! ずりぃぞ、しろ! 俺が一番にやろうと思ってたのに!」
「風呂じゃあるまいし……ほら隣、左半分ならまだ一番」
「ちくしょー……まあいっか。そりゃっ」
 ぼふん、と勢い良く布団の左半分にくろが倒れた。俺がさっき出したのと同じ声が、布団に吸い込まれて消える。俺もまた顔をうずめて、身体の力を抜く。そのままなんとなく、思ったことを口に出した。
「くろ、布団干しててくれてありがとー」
 もごもごしてて聞こえてないかな、と思ったけどばっちり聞こえてたらしい。ぶっきらぼうだけど、どこか優しいくぐもった声が返ってきた。
「今年は、規則正しい生活をしろよな」
「うーん……」
 ごめん、それはちょっと、約束できそうにない。俺は今年に入ってもう何度目かもわからないお祝いの言葉でお茶を濁す。
「あけまして、おめでとうございます」
 もうさすがにこの手は通じないかもなと顔を上げたが、さすがにくろは俺のことをよくわかってる。
 布団に頭を預けたまま顔をこちらに向けて、自信満々に一言。
「今年もよろしくされてやる」
「はは、今年もお世話になります」
 ありがとう、おめでとう、よろしく。恥ずかしげもなくそう言い合えるこの関係が、今年も嬉しい。

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